2014年5月21日水曜日

ベルガーが語るセナプロ

記録より記憶に残る男のベルガーはセナのことをこう語っている。
ベルガーとセナの出会いは、かなり前だった
F3の頃からだった、べるがーはこう語っている。
F1へのステップアップへと道を歩めたと言っている

やっぱり、若かれし頃のドライバーというのは、自分が一番、それなりのライバルはいるものの、やっぱり「自分が一番で絶対に負けるわけない」と思っている、ということでセナをかなりライバルとして意識していたようだ。

アイルトンとは友好な関係を築いていた

プロストとセナについて

シンプルにこう語っている
「プロストとセナの関係は最低だったよw」

当時プロストはとっても速くて、勝てて、計算高いレースをする成功を収めたスーパースターだったと振り返る。そこにプロスト曰く、セナが入ってくるわけだが、セナについて、こう分析している。「プロストの一方、アイルトンは若いブラジルのドライバーだったものの、純粋な速さではアイルトンが勝っていた、だからこそプロストにとって難しい存在だったのだろう、」

「アイルトンはとにかく速かった。しかし、アランもそこの点は知っていた。だからこそ、ポールポジションは譲ってやる、しかし、ニキラウダとの1984年の頃と同じように、ニキは一度のポールポジションをとることはなかったが、優勝したように、経験やレース運びで優勝を勝ち取ってやると考えていたようだ」

1988年はアイルトンの速さが際立った年だった、予選では他のドライバーに圧倒的な差を見せつけ、プロストと競りあっていたのだが、第13戦ポルトガルで事件が起こってしまった、
事故によって再スタートになった一周目にプロストが幅寄せする、セナはそれに対抗するように幅寄せし返す、ここからセナとプロストの溝が深まってしまった、この時シリーズも終盤で、この一戦に負けてしまうと、プロストのチャンピオンはなかった。セナとプロストはピリピリしていた。最終戦までにタイトルを確定させた。

1989年はプロストが確実にポイントを稼ぎタイトルを獲得する。
決まったのは鈴鹿でのことだった、セナにとってこれが勝てねばタイトルがない一戦だった
セナはエンジンのピックアップも悪く、プロストに先行を許してしまった。
ウィングを寝かせたプロストと後のないセナはストレートで離れ、コーナーで縮むという熱戦を繰り広げていた。そして、シケインコーナーへと入るプロストはコンサバなラインを取る。
セナがそこに入る、しかし、プロストがライン通り入ってくる。クラッシュ、
セナはエスケープゾーンを使ってピットへ、エスケープゾーンを使ってショートカットしたとしてプロストは訴えます。セナはナニーニとの差を詰め、トップに立ちゴールしました。しかし、プロストの訴えが通じ失格、(エスケープゾーンでの失格と呼べるものではなかった)
その後押しがけによる失格に書き換えられている(しかし、こういうクラッシュはよくあることだ)
このことについてはこう述べている
「今でもこの件に関してはルールははっきり決まってないし、あの日が終われば決まっていた」
「クラッシュを避ける責任が何かなんて定まってないんだ。お互いに歩み寄ることが大切だが、相手のマシンに突っ込んでしまえばおしまい、そうしてタイトルを手にすることだってあるってことさ」
「そのあと二人は政治的な話し合いがもたらされた、二度と繰り返したくなかったから、アランはファンタスティックな最高なチャンピオンだったからこそテーブル上でチャンピオンが決まってしまったことは残念だったね、でもそれもレースの歴史の一部だしすごいチャンピオンシップだったよ。セナとプロストの最強の巨人が勝利を争って思いっきり衝突したんだ。最高だったよ。」

セナがいたからプロストの凄さも見えた、プロストがいたから、セナが光った

と言えるのではないでしょうか。


ベルガーはこの後セナとチームメイトになるわけですが、偏ってない意見だったと思います。
それにしても、べルガーが言うようにセナプロは凄かったんでしょうねー



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