私はテスト期間に入ってしまいました、、、、、、(T_T)
ブログも大事ですが、まずは自分の進路が大事なので、しっかりと勉学に励んできます、、、
でも、テスト期間中の分を来週の金曜日に10本上げたいと思ってます
生産中止になったランエボの話とか、アバルトの話の続きとかでも、最近歴史ばっかだったので
スクープ記事のほうを重点的に進めたいと思ってます
申し訳ありません、ここらへんもお目に長く見てください
2014年5月27日火曜日
儲からない車
ちょっと間を空けてしまいましたねw(ブログの投稿)
最近面白いニュースがありました
FIAT クライスラーのCEOのセルジオさんがこんなことを言ったのです
アメリカなどで売られているFIAT500のEVバージョンはみんな頼むから買わないで欲しい
少しは生産するが、それ以上きた場合、2度目の破産申告をする羽目になるというのです
その500Eは500の可愛らしいボディーはそのままにEVを移植したというもので、ボディーのフロア部分のねじり合成が10%アップしていて、バッテリーも低重心化に一役買い、アメリカのメディアやヨーロッパのメディアではなかなかの高評価を受けていて、
手の届きやすい料金設定、imievやリーフ、テスラにも負けないコストパフォーマンス
ただ一つ問題が、、、、、、1台売れるごとに1万4000ドル近くの損出が出るというのですww
アメリカを中心に販売されている500Eは元の値段が320万ほどであるのだが、減税制度で200万ちょっとでことが足りる。その中で1万4000ドルの損出はでかい。ライバル車を圧倒できるスペックを兼ね備え、買いやすい制度まで投入したFIATにとってはやめても地獄、売っても地獄というところではないのだろうか。
この問題で明らかになったのは、EVの採算のとりにくさである、、テスラのように法外なバカ高い値段で売っているのならまだしも、コンパクトカーでかつEV,お手頃というのは難しいのかもしれない
2014年5月21日水曜日
ベルガーが語るセナプロ
記録より記憶に残る男のベルガーはセナのことをこう語っている。
ベルガーとセナの出会いは、かなり前だった
F3の頃からだった、べるがーはこう語っている。
F1へのステップアップへと道を歩めたと言っている
やっぱり、若かれし頃のドライバーというのは、自分が一番、それなりのライバルはいるものの、やっぱり「自分が一番で絶対に負けるわけない」と思っている、ということでセナをかなりライバルとして意識していたようだ。
アイルトンとは友好な関係を築いていた
プロストとセナについて
シンプルにこう語っている
「プロストとセナの関係は最低だったよw」
当時プロストはとっても速くて、勝てて、計算高いレースをする成功を収めたスーパースターだったと振り返る。そこにプロスト曰く、セナが入ってくるわけだが、セナについて、こう分析している。「プロストの一方、アイルトンは若いブラジルのドライバーだったものの、純粋な速さではアイルトンが勝っていた、だからこそプロストにとって難しい存在だったのだろう、」
「アイルトンはとにかく速かった。しかし、アランもそこの点は知っていた。だからこそ、ポールポジションは譲ってやる、しかし、ニキラウダとの1984年の頃と同じように、ニキは一度のポールポジションをとることはなかったが、優勝したように、経験やレース運びで優勝を勝ち取ってやると考えていたようだ」
1988年はアイルトンの速さが際立った年だった、予選では他のドライバーに圧倒的な差を見せつけ、プロストと競りあっていたのだが、第13戦ポルトガルで事件が起こってしまった、
事故によって再スタートになった一周目にプロストが幅寄せする、セナはそれに対抗するように幅寄せし返す、ここからセナとプロストの溝が深まってしまった、この時シリーズも終盤で、この一戦に負けてしまうと、プロストのチャンピオンはなかった。セナとプロストはピリピリしていた。最終戦までにタイトルを確定させた。
1989年はプロストが確実にポイントを稼ぎタイトルを獲得する。
決まったのは鈴鹿でのことだった、セナにとってこれが勝てねばタイトルがない一戦だった
セナはエンジンのピックアップも悪く、プロストに先行を許してしまった。
ウィングを寝かせたプロストと後のないセナはストレートで離れ、コーナーで縮むという熱戦を繰り広げていた。そして、シケインコーナーへと入るプロストはコンサバなラインを取る。
セナがそこに入る、しかし、プロストがライン通り入ってくる。クラッシュ、
セナはエスケープゾーンを使ってピットへ、エスケープゾーンを使ってショートカットしたとしてプロストは訴えます。セナはナニーニとの差を詰め、トップに立ちゴールしました。しかし、プロストの訴えが通じ失格、(エスケープゾーンでの失格と呼べるものではなかった)
その後押しがけによる失格に書き換えられている(しかし、こういうクラッシュはよくあることだ)
このことについてはこう述べている
「今でもこの件に関してはルールははっきり決まってないし、あの日が終われば決まっていた」
「クラッシュを避ける責任が何かなんて定まってないんだ。お互いに歩み寄ることが大切だが、相手のマシンに突っ込んでしまえばおしまい、そうしてタイトルを手にすることだってあるってことさ」
「そのあと二人は政治的な話し合いがもたらされた、二度と繰り返したくなかったから、アランはファンタスティックな最高なチャンピオンだったからこそテーブル上でチャンピオンが決まってしまったことは残念だったね、でもそれもレースの歴史の一部だしすごいチャンピオンシップだったよ。セナとプロストの最強の巨人が勝利を争って思いっきり衝突したんだ。最高だったよ。」
セナがいたからプロストの凄さも見えた、プロストがいたから、セナが光った
と言えるのではないでしょうか。
ベルガーはこの後セナとチームメイトになるわけですが、偏ってない意見だったと思います。
それにしても、べルガーが言うようにセナプロは凄かったんでしょうねー
事故によって再スタートになった一周目にプロストが幅寄せする、セナはそれに対抗するように幅寄せし返す、ここからセナとプロストの溝が深まってしまった、この時シリーズも終盤で、この一戦に負けてしまうと、プロストのチャンピオンはなかった。セナとプロストはピリピリしていた。最終戦までにタイトルを確定させた。
1989年はプロストが確実にポイントを稼ぎタイトルを獲得する。
決まったのは鈴鹿でのことだった、セナにとってこれが勝てねばタイトルがない一戦だった
セナはエンジンのピックアップも悪く、プロストに先行を許してしまった。
ウィングを寝かせたプロストと後のないセナはストレートで離れ、コーナーで縮むという熱戦を繰り広げていた。そして、シケインコーナーへと入るプロストはコンサバなラインを取る。
セナがそこに入る、しかし、プロストがライン通り入ってくる。クラッシュ、
セナはエスケープゾーンを使ってピットへ、エスケープゾーンを使ってショートカットしたとしてプロストは訴えます。セナはナニーニとの差を詰め、トップに立ちゴールしました。しかし、プロストの訴えが通じ失格、(エスケープゾーンでの失格と呼べるものではなかった)
その後押しがけによる失格に書き換えられている(しかし、こういうクラッシュはよくあることだ)
このことについてはこう述べている
「今でもこの件に関してはルールははっきり決まってないし、あの日が終われば決まっていた」
「クラッシュを避ける責任が何かなんて定まってないんだ。お互いに歩み寄ることが大切だが、相手のマシンに突っ込んでしまえばおしまい、そうしてタイトルを手にすることだってあるってことさ」
「そのあと二人は政治的な話し合いがもたらされた、二度と繰り返したくなかったから、アランはファンタスティックな最高なチャンピオンだったからこそテーブル上でチャンピオンが決まってしまったことは残念だったね、でもそれもレースの歴史の一部だしすごいチャンピオンシップだったよ。セナとプロストの最強の巨人が勝利を争って思いっきり衝突したんだ。最高だったよ。」
セナがいたからプロストの凄さも見えた、プロストがいたから、セナが光った
と言えるのではないでしょうか。
ベルガーはこの後セナとチームメイトになるわけですが、偏ってない意見だったと思います。
それにしても、べルガーが言うようにセナプロは凄かったんでしょうねー
2014年5月18日日曜日
アバルト part1
皆さん、アバルトってご存知ですか???
いまのみなさんの認識だと、Fiatのチューナー、500のチューンだけだと思ってました。
最近まで私もそう思い込んでいました
アバルトファンならご存知でしょうが、そんなアバルトの今までをご紹介したい
1908年創業者カールアバルトは生まれた、アバルトは生来のイタリア人ではなかった。
イタリア人系オーストリア人の父と、オーストリア人の母を持ったカルロアバルト。
彼がはまっていったのは、自動車競技と機械工学、その成り行きでモーターサイクルの道を歩み始めた。自動車工場で見習工として働く傍らでウィーン大学に通い、プライベートでレースを始めた。
初レースは初優勝!ライダーとしても才能があった、この勝利によって当時最強と言われたDKWチームの一員としてむかえられた、移籍後も期待に応えていたのだが、、、、
1930年事故に遭ってしまう。医師団から2輪レースを禁止されてしまう。
そこで3輪だったらいいだろうとサイドカーのレースに出場し始める。
(二輪ともそう変わらないと思いますwww)
そして自分の手で画期的なフレームのサイドカーを作り上げ、ヨーロッパ最強のサイドカー乗りとなった。レーサーとしてだけではなくチューナーとしての素質もこの頃から現れている。しかしまた彼を悲劇が襲う。
ドイツではファシズムが進み、同じ枢軸国でもゆるいイタリアで活動をすることにした直後、
事故に遭う、大事故で昏睡状態に陥るほどのものだった。
そしてようやく死地から戻ってきたカルロは第二次世界大戦真っ只中のイタリアにいた
第2次世界大戦集結後、
アバルトは友人だったポルシェのエンジニアだったフルシュカ技師のチシタリアに入ることになる。
チシタリア社は当時D46というF1マシンを開発し、参戦、レーシングカーやスポーツカーを販売、製造していた自動車会社のことで、
最も有名なのは202というモデルである。F1ではいい結果を残すことはできなかったが、FIATの車をベースに、美しい純レーシングカー、美しいスポーツカーを世に送り出した、ポルシェともつながりがあり、F1マシンを作ることになるのだが、4WD、V12スーパーチャージャーという斬新で画期的で先を行き過ぎていたせいか、なかなか進まず、苦労し、開発費用で首が回らなくなり破綻。
アバルトはここでも優秀なメカニックとして働いていたが、けいえいしゃのデュジオはどっか行ってしまう、メカや従業員は置いてきぼりを食らった。しかし、ドライバーのグイドスカリアーリーの父アルマンドが資産家でチシタリアに惜しみない助力を与えた、アルマンドはアバルトの経営能力と、メカとしての技術を買っていて、資金を出すからアバルトをリーダーにした会社をしないかと持ちかけたが、
アバルトはチシタリアの皆をほっておくわけには行かなかった。
しかし、抵当権がたくさんかかった工場と仲間を味方に進むことを選んだ
ここでの苦労が、アバルトの価値観、経営の基礎を作った。
そして、オーストリアへさよならを告げたアバルトはイタリアに根付いたコンストラクターとして新たな門出を迎えることとした、1949年チシタリアの仲間や設備をそそのまま居抜き、
ABARTH&C.が誕生した、これがみなさんご存知のアバルトです
いまのみなさんの認識だと、Fiatのチューナー、500のチューンだけだと思ってました。
最近まで私もそう思い込んでいました
アバルトファンならご存知でしょうが、そんなアバルトの今までをご紹介したい
1908年創業者カールアバルトは生まれた、アバルトは生来のイタリア人ではなかった。
イタリア人系オーストリア人の父と、オーストリア人の母を持ったカルロアバルト。
彼がはまっていったのは、自動車競技と機械工学、その成り行きでモーターサイクルの道を歩み始めた。自動車工場で見習工として働く傍らでウィーン大学に通い、プライベートでレースを始めた。
初レースは初優勝!ライダーとしても才能があった、この勝利によって当時最強と言われたDKWチームの一員としてむかえられた、移籍後も期待に応えていたのだが、、、、
1930年事故に遭ってしまう。医師団から2輪レースを禁止されてしまう。
そこで3輪だったらいいだろうとサイドカーのレースに出場し始める。
(二輪ともそう変わらないと思いますwww)
そして自分の手で画期的なフレームのサイドカーを作り上げ、ヨーロッパ最強のサイドカー乗りとなった。レーサーとしてだけではなくチューナーとしての素質もこの頃から現れている。しかしまた彼を悲劇が襲う。
ドイツではファシズムが進み、同じ枢軸国でもゆるいイタリアで活動をすることにした直後、
事故に遭う、大事故で昏睡状態に陥るほどのものだった。
そしてようやく死地から戻ってきたカルロは第二次世界大戦真っ只中のイタリアにいた
第2次世界大戦集結後、
アバルトは友人だったポルシェのエンジニアだったフルシュカ技師のチシタリアに入ることになる。
チシタリアのF1マシンD46 |
最も有名なのは202というモデルである。F1ではいい結果を残すことはできなかったが、FIATの車をベースに、美しい純レーシングカー、美しいスポーツカーを世に送り出した、ポルシェともつながりがあり、F1マシンを作ることになるのだが、4WD、V12スーパーチャージャーという斬新で画期的で先を行き過ぎていたせいか、なかなか進まず、苦労し、開発費用で首が回らなくなり破綻。
アバルトはここでも優秀なメカニックとして働いていたが、けいえいしゃのデュジオはどっか行ってしまう、メカや従業員は置いてきぼりを食らった。しかし、ドライバーのグイドスカリアーリーの父アルマンドが資産家でチシタリアに惜しみない助力を与えた、アルマンドはアバルトの経営能力と、メカとしての技術を買っていて、資金を出すからアバルトをリーダーにした会社をしないかと持ちかけたが、
アバルトはチシタリアの皆をほっておくわけには行かなかった。
しかし、抵当権がたくさんかかった工場と仲間を味方に進むことを選んだ
ここでの苦労が、アバルトの価値観、経営の基礎を作った。
202 商業的にはあまり良くなかったものの美術品として歴史の一部となった |
ABARTH&C.が誕生した、これがみなさんご存知のアバルトです
2014年5月15日木曜日
GTA5で一番かっこいいクルマ???
4月14日にGT6のアップデートがあったが、その前日には皆さんご存知グラセフ5(以下GTA5)の大規模アップデートもあった。今回はそのアプデで追加された一台の車について紹介しよう。
BMW Vision GranTurismo!
今日5月14日に、なんの前触れもなく、急にグランツーリスモ6(以外GT6)で大型アップデートが来た。一番のトピックはグランツーリスモが自動車メーカーに「グランツーリスモ」の作成を依頼するプロジェクトであるVision GranTurismoの第二弾だ。
(グランツーリスモとは、クルマの分類のうちの一つ。グランドツアラーとも呼べる??)
2014年5月12日月曜日
A!Heart supercar!!!
昨日、共同執筆者の泉野を無理矢理引き連れ、名古屋港旧イタリア村跡地でやっているア!ハートスーパーカーというイベントに行ってみました。
今回で6回目らしく、1年に2回やっているそうです。イベント自体は小規模で少し来たい外れだったのが印象的でした。なので10時〜15時までいるのは少々辛かったですw (クソ暑かったし)じゃあなんで途中で帰らなかったのかというとイベント最後のほうに行われる、エンジンレブ大会でどうしてもスーパーカーたちの音を聞きたかったから。帰ろうとする泉野を止めて聞いた甲斐がありました!!(エンツォのサウンドを聞いたのは人生初!)
とにかく、この手のイベントは長時間いるもんじゃないことと、入場料1000円は規模の割に高いかな???と思いました。もし行くなら1時くらいから行くことをお勧めしますw エンジンサウンドと、解散していくときを抑えれば十分楽しめますw
2014年5月10日土曜日
最強のコンビは帰ってくる PART2
セナとプロストいろいろなことがあった、紳士協定事件、
そのほかにも、たくさんたくさん、鈴鹿の事故、幅寄せ、それを煽り立てるマスコミ
プロストは別に遅いドライバーでは全くなかった、プロフェッサーとのちによばれているが、
それは、ニキラウダとのチームメイト時代に築かれたものであろう。
それを知るのは、それまでの生い立ちをさらっとおさらいしよう。
1975年、レーシングカートでフランスを制覇
翌年からジュニアフォーミュラーに参戦、13戦中12勝を勝ち取り、圧倒的速さを見せつける
その次の年もチャンピオンになることとなった。
1978年ステップアップしF3に参戦、一年目はマシントラブルが多発、全く結果が残せなかったもののマルティーニルノーに乗り優勝。
そして、F1にやってくるのである。低迷期のマクラーレンでもマシントラブルが多発を経験し、ルノーに移籍。
F1で勝することとなる。シリーズリザルト5位
82年、シーズン序盤ランキングトップを走る、しかし、マシントラブルと自らのミスにより、順位を落とし、安定感を失ったプロストは結果ランキング4位となる
83年はタイトルがあと一歩だった。前年同様ランキングでトップにネルソンピケと13ポイント差をつける。しかし、中盤にピケを抜こうとして接触リタイアしてから一気に調子を落とし。
3ポイント差で敗北を喫した
そして84年古巣のマクラーレンに戻ることとなる
そしてこの年がターニングポイントとなった。
つづく
2014年5月9日金曜日
HONDAと今のF1
いまのf1
ロズベルグが1位、ハミルトンが2位、アロンソが3位で、メルセデスが圧倒しているが、
エンジン出力は580馬力、システム全体で720馬力近くあるという,これは他を圧倒しているようだ、毎回二人がトップ争いを繰り広げ、オーバテイクは、1,2位では全く起こらないような変な状態である、
そして、来年からホンダは復帰するわけなのだが、メルセデスなどとアドバンテージをつけられるかもしれないと、あるジャーナリストはいう。
彼曰く、「やはり走る実験室と言われるだけあるレース、実践で1年間の時間があるほかのコンストラクターとは違い、ホンダはそういう意味で不安なのではないのかと語っている。
さらに、この後の展開によっては可能性は薄いが、皆さんご存知のとおり、一部の人からV6ターボエンジンは評判が悪く、FIA会長のエクレストンは早くV8エンジンに戻したいとしていて、それに対して理解を示すメルセデスベンツの会長ニキラウダはこう述べている、「このエンジンをやめたら、誤りを認めることになる、エンジンコンストラクターは離れることとなり、研究にかけた金はおじゃんである。」
一部の意見ではこれはメルセデスが今年強いから、エンジンを気に言ってるのではないのかというが、もしそんなことになったら、ホンダは戻らない。
こんなチャンスを潰してしまうかもしれないなんて、、ないでしょうけど
そんな中どんなチーム体制を目指すのかw
そこで気になるのが日本のF1人気ですね!!
日本の熱狂的なファンは前日から席取りに励み、かっこよくもないチームのシャツや、
キャップを買う揃える。しかし、その数は減っている、小林可夢偉以外に楽しみがないのだ、
イマイチ今のドライバーには花がなく、唸るほどに見て素晴らしく感じないのだ
私はたまにBSで見るが、昔と違って優等生が増えたなあという感じだった
知恵袋でこんな質問と回答があった
Q,セナプロの頃が良かった、電子制御が多すぎ、ドライバーに個性がない、などと文句をユーチューブなどでコメントに残す人がいますが。なぜそう思うのか??
A,
年をとったのは関係ないと思います。昔から見ているから、つい比較してつまらなく思うのです。なぜなら昔はもっとF1はアナログ的で、スプリントかつ耐久レース的要素があったので、マシンがよく壊れる、ガス欠する、MTによるドライバー運転技術の差、タイヤのバースト、新技術の試行錯誤、今よりタイヤ性能が低い、レギュレーションが今ほど細かくなくマシンに個性があった等々要因をあげたらきりがないほど今とは違います。今の市販の自動車と同じ感覚だと思います、MTでは運転差はすごいけど、オートマになってそれなりにみんな同じ感じ。F1はメーカーの技術の試験試行錯誤の場で進化のためではあるけれども今のF1はアナログ的要素があまりにも少なくなってオートマチック部分が多すぎてつまらないのです。事実、あと1週でエンジンがブローとかガソリンはもつのか!3速ギアが壊れてなんとか残りのギアで走ってるとか、モナコでは手の皮がむける程マニュアルでシフトアップ、ダウンをくり返す、マシンの個性でストレートは速いけどコーナーはいまいちの車とストレートではいまいちやけどコーナーは速い車とかのバトルとかアナログ的要素が多ければ多いほど色んな角度からハラハラ見れていたということです。人間、見る方としては変化にとんだハプニングが多い方が見ていて面白いでしょう(走っている方は大変でしょうが)、実際、今のレースでエンジンブローで煙をモクモクとはきながら走る光景をみますか?ガス欠でとまる光景を見ますか?マンセルみたいに個性ある走りをするドライバーはいますか?さらに今のF1はブロックにしても接触にしてもルールが細かすぎてすぐペナルティーでダイナミックな走りをすることは許されません。みんな優等生でデジタルマシンに乗っているというです。時代も影響していてみんな仲良し、ハングリーさも昔人間より無いと思います。昔はもっと泥くさかった、だから感動したのです。そういうことです。年をとったからではありません。でも私はF1を見続けます。つまらなくても。時代の流れを受け入れながら。今がつまらないと思えるのは昔を知っているからであり、財産であり思い出であり、それでいいのです。今後EV時代がきたらF1はどうなるのか、エンジン音を懐かしく思う時が来るのかもしれない。だから興味はつきない。見続けるというより見届けるというニュアンスの方が合っているかも。
今でもF1ドライバーはすごいものの、(ここ大事)
レギュレーション、技術によって、争いが少なく、ドライバーの差が出にくくなっていて、高度すぎてわからないレベルまで来ている。厳しくルールはあり、スマホをいじる感覚です。
また地上波でF1は戻てきます。また強く魅せる走りをみたいですね
ロズベルグが1位、ハミルトンが2位、アロンソが3位で、メルセデスが圧倒しているが、
エンジン出力は580馬力、システム全体で720馬力近くあるという,これは他を圧倒しているようだ、毎回二人がトップ争いを繰り広げ、オーバテイクは、1,2位では全く起こらないような変な状態である、
そして、来年からホンダは復帰するわけなのだが、メルセデスなどとアドバンテージをつけられるかもしれないと、あるジャーナリストはいう。
彼曰く、「やはり走る実験室と言われるだけあるレース、実践で1年間の時間があるほかのコンストラクターとは違い、ホンダはそういう意味で不安なのではないのかと語っている。
さらに、この後の展開によっては可能性は薄いが、皆さんご存知のとおり、一部の人からV6ターボエンジンは評判が悪く、FIA会長のエクレストンは早くV8エンジンに戻したいとしていて、それに対して理解を示すメルセデスベンツの会長ニキラウダはこう述べている、「このエンジンをやめたら、誤りを認めることになる、エンジンコンストラクターは離れることとなり、研究にかけた金はおじゃんである。」
一部の意見ではこれはメルセデスが今年強いから、エンジンを気に言ってるのではないのかというが、もしそんなことになったら、ホンダは戻らない。
こんなチャンスを潰してしまうかもしれないなんて、、ないでしょうけど
そんな中どんなチーム体制を目指すのかw
そこで気になるのが日本のF1人気ですね!!
日本の熱狂的なファンは前日から席取りに励み、かっこよくもないチームのシャツや、
キャップを買う揃える。しかし、その数は減っている、小林可夢偉以外に楽しみがないのだ、
イマイチ今のドライバーには花がなく、唸るほどに見て素晴らしく感じないのだ
私はたまにBSで見るが、昔と違って優等生が増えたなあという感じだった
知恵袋でこんな質問と回答があった
Q,セナプロの頃が良かった、電子制御が多すぎ、ドライバーに個性がない、などと文句をユーチューブなどでコメントに残す人がいますが。なぜそう思うのか??
A,
年をとったのは関係ないと思います。昔から見ているから、つい比較してつまらなく思うのです。なぜなら昔はもっとF1はアナログ的で、スプリントかつ耐久レース的要素があったので、マシンがよく壊れる、ガス欠する、MTによるドライバー運転技術の差、タイヤのバースト、新技術の試行錯誤、今よりタイヤ性能が低い、レギュレーションが今ほど細かくなくマシンに個性があった等々要因をあげたらきりがないほど今とは違います。今の市販の自動車と同じ感覚だと思います、MTでは運転差はすごいけど、オートマになってそれなりにみんな同じ感じ。F1はメーカーの技術の試験試行錯誤の場で進化のためではあるけれども今のF1はアナログ的要素があまりにも少なくなってオートマチック部分が多すぎてつまらないのです。事実、あと1週でエンジンがブローとかガソリンはもつのか!3速ギアが壊れてなんとか残りのギアで走ってるとか、モナコでは手の皮がむける程マニュアルでシフトアップ、ダウンをくり返す、マシンの個性でストレートは速いけどコーナーはいまいちの車とストレートではいまいちやけどコーナーは速い車とかのバトルとかアナログ的要素が多ければ多いほど色んな角度からハラハラ見れていたということです。人間、見る方としては変化にとんだハプニングが多い方が見ていて面白いでしょう(走っている方は大変でしょうが)、実際、今のレースでエンジンブローで煙をモクモクとはきながら走る光景をみますか?ガス欠でとまる光景を見ますか?マンセルみたいに個性ある走りをするドライバーはいますか?さらに今のF1はブロックにしても接触にしてもルールが細かすぎてすぐペナルティーでダイナミックな走りをすることは許されません。みんな優等生でデジタルマシンに乗っているというです。時代も影響していてみんな仲良し、ハングリーさも昔人間より無いと思います。昔はもっと泥くさかった、だから感動したのです。そういうことです。年をとったからではありません。でも私はF1を見続けます。つまらなくても。時代の流れを受け入れながら。今がつまらないと思えるのは昔を知っているからであり、財産であり思い出であり、それでいいのです。今後EV時代がきたらF1はどうなるのか、エンジン音を懐かしく思う時が来るのかもしれない。だから興味はつきない。見続けるというより見届けるというニュアンスの方が合っているかも。
今でもF1ドライバーはすごいものの、(ここ大事)
レギュレーション、技術によって、争いが少なく、ドライバーの差が出にくくなっていて、高度すぎてわからないレベルまで来ている。厳しくルールはあり、スマホをいじる感覚です。
また地上波でF1は戻てきます。また強く魅せる走りをみたいですね
2014年5月8日木曜日
最強のコンビがF1に帰ってくる part1
今更と言われるかもしれないが、当時最強だったマクラーレンホンダが帰ってくる!!
ホンダF1第二期だ。ホンダはスピリットレーシングにエンジンを供給した
7位が最高順位とイマイチだった、その翌年、ウィリアムズと契約。初めは燃費の悪さが結果に繋がらなかったものの、ロズベルグが優勝し、一勝を獲得、
その次の年、新エンジンを搭載。燃費、ターボラグを克服、3,4位を獲得、調子を上げ、翌年はマンセルが優勝、ピケと二連覇を果たした。
チームは両方を立てた、お互いに自分が贔屓されるべきだと主張し合ったのだ。
そんなふたりが乗るマシンは出来が良かった
箱を開ければ、16戦15勝、圧倒的なホンダのターボエンジンと世界一のドライバーが組んだのだ
こうして華々しくデビュー、
またホンダは帰ってくる
続く
ホンダF1第二期だ。ホンダはスピリットレーシングにエンジンを供給した
7位が最高順位とイマイチだった、その翌年、ウィリアムズと契約。初めは燃費の悪さが結果に繋がらなかったものの、ロズベルグが優勝し、一勝を獲得、
その次の年、新エンジンを搭載。燃費、ターボラグを克服、3,4位を獲得、調子を上げ、翌年はマンセルが優勝、ピケと二連覇を果たした。
そして、ウィリアムズの陣営の対応に不満を持ったホンダはマクラーレンとエンジンコンストラクター
としてパートナーを組む、マクラーレンと契約していたプロストに加え、ホンダは人気ドライバーアイルトンセナと蜜月関係となる。
アイルトンセナとプロスト、F1といえばこの二人という、おじさん世代も多いのではないだろうか?
この二人の出会いは、レーシングドライバーがメルセデス・ベンツでエキシビジョンレースをしたときのことだった、予選ではプロストが、本戦ではセナがトップとなった。プロストが予選を勝ちとってからセナは口をきかなかったというが、決勝では勝ったので評判を落とすことはなかった。初印象のアイルトンセナは静かな若者という感じだったという
プロストはマクラーレンにアイルトンセナを迎えることを望んだことで、マクラーレンとして、アイルトンセナとアランプロストのチームメイトとしてのキャリアが、セナプロ対決が始まったのである。
でも、一瞬に駆け抜け、純粋に速さと求め続けたセナと、ニキラウダに育てられ、レース展開、計画的に進めるチャンプのプロストが二人で並べるわけもなかった。どっちかがチームのファーストドライバーとなり、セカンドとしてアシストするなんてこともなかった。チームは両方を立てた、お互いに自分が贔屓されるべきだと主張し合ったのだ。
そんなふたりが乗るマシンは出来が良かった
箱を開ければ、16戦15勝、圧倒的なホンダのターボエンジンと世界一のドライバーが組んだのだ
こうして華々しくデビュー、
またホンダは帰ってくる
続く
GTA5 ハイライフアップデート 5/13についに来る!!!!
今回初めてのゲームネタな訳だが、我らも一応高校生w ゲームしないわけがない!
とは言ってもこの種の人間がするゲームは限られていて、主に 「グランツーリスモ6」(以下GT6)を中心としたリアルなレーシングゲーム系か、息抜き程度に「グランドセフトオート5」(以下GTA5)くらいしかやらない。(てかできないw)
さて、前置きはこれくらいにして息抜き程度でしかやらない本題のGTA5の話題に移ろう。
今回お知らせする「ハイライフアップデート」というのは、「スプリングアップデート」という春の大規模アップデートのうちの一つで、今作史上もっとも大きなアップデートとなることが予想できる。一応このブログはクルマのネタを中心に取り上げているので、GTA5でもクルマを中心としたネタをあげて行こうかと思う。そもそも今回のアップデートで追加される内容というのは、
- Eclipse Towers、Richards Majesticといった一等地のロケーションに用意された5種の最高級アパート
- 4種の新ビークル:The Enus Huntley S (SUV)とDewbauchee Massacro (スポーツカー)、Pegassi Zentorno (スーパーカー)、Dinka Thrust (バイク)
- 新たなRaceオプション“Non Contact”:有効化することでビークルのコリジョンをプレイヤー間で無効化し、相手ビークルを半透明で表示
- Ammu-Nationに強力なブルパップライフルが追加
- プレイヤーのStatsに精神状態が追加
- 新衣装とビークルホーン
- 5種の新コンタクトミッションを含む15種の新ジョブ
まず一つ目に、別荘。これはGTAOプレイヤーならクルマ好きであってもなくても嬉しいシステムだ。GTAOは一人のプレイヤーにつき最大10台までしか車両を保有できない。(飛行機や軍用車などの特殊車両を除く) これはガレージが10台までしか入らないからだ。オリジナルとはいえユニークな車両の多いGTAでは車両を10台のみに絞るのは難しい。今回のアプデで一人につきガレージを二軒(最大20台?)所有できる。
二つ目に新しい車とバイクだ。今回も前回同様にのスーパーカー、スポーツカーと新たにSUVとバイクが追加される。その写真がこれだ。
手前の、黄金虫みたいなゴールドをしたクルマはDewbauchee Massacroだ。
このクルマの見た目は、「アストンマーチン ヴァンキッシュ」から取り入れたクルマだろう。
次に、奥に見える緑にオレンジのストライプの入ったクルマはPegassi Zentorno。
このクルマは「ランボルギーニ ウラカン」と見受けられる。
個人的にはヴェネーノやアヴェンタドールも少し入ってるのかなぁと思うが、顔をみた感じだとやはりウラカンが強い。
SUVはとくにかっこよさそうなわけでもないし、皆もあまり気にかけていないようなので取り上げないが、要望があれば詳しくみていこう。
次にバイクのDinka Thrustだ。
そもそもDinkaというメーカーはゲーム内ではホンダらしい。新型NSXみたいなジェスターもDinkaだ。
DN-01に似てる気がする。
以上、車両しか取り上げてないが他にも新要素はたくさんあるので5月16日を楽しみに待っていよう!!!!
2014年5月7日水曜日
2014年5月6日火曜日
GWもあと少し
GWも数時間で終わりですねw
残念ながら遠出や、車のネタの取材には出れませんでした(T_T)
リバティーウォークへは自分は親の事情もあり行けなかったのですが、
感じることはありました。
何より、車離れはまだ止められるということですね!!!
自分もそうですし、このブログの共同執筆者であり親友の一道がそうであるように、
車好きはいます。今の若者(自分がそうじゃないか笑)は自動車はツールであって、
少しずつどーでもいいものになってしまっているのかもしれません。
味気のなかった日本車(特に多分トヨタ)はクルマの楽しさを人々から忘れさせていまいました。
面白さはどーでもいいから、安くて便利使えればいい。
こういう考えが衰退させたのではないでしょうか??
子供のしそうは変わってない、環境が変わり、大人がそうさせたのです
最近、車狂のイタリアでも車離れは進んでいると聞いています、
自分もそれを食い止めるべく少しでも面白い記事を書いていきます。
残念ながら遠出や、車のネタの取材には出れませんでした(T_T)
リバティーウォークへは自分は親の事情もあり行けなかったのですが、
感じることはありました。
何より、車離れはまだ止められるということですね!!!
自分もそうですし、このブログの共同執筆者であり親友の一道がそうであるように、
車好きはいます。今の若者(自分がそうじゃないか笑)は自動車はツールであって、
少しずつどーでもいいものになってしまっているのかもしれません。
味気のなかった日本車(特に多分トヨタ)はクルマの楽しさを人々から忘れさせていまいました。
面白さはどーでもいいから、安くて便利使えればいい。
こういう考えが衰退させたのではないでしょうか??
子供のしそうは変わってない、環境が変わり、大人がそうさせたのです
最近、車狂のイタリアでも車離れは進んでいると聞いています、
自分もそれを食い止めるべく少しでも面白い記事を書いていきます。
2014年5月4日日曜日
Liberty Walk in 名古屋!!!!
スーパーカー屋さんで有名なリバティーウォークにいってきました!!!!
残念ながら共同執筆者の泉野は用事で欠席(泣)そのかわり、うちに偶然泊まっていたcousinのMくんを代役に立て行って参りましたw(彼はクルマの知識はそれほどだが、ランボルギーニやかっこいいクルマは好きなようだw)
そもそもリバティー・ウォークとは。リバティーウォークは名古屋尾張旭にある自動車販売を専門とするクルマ屋さん。クルマ好き、スーパーカー好きの間ではかなり有名で世界でも人気が非常に高い。なぜそんなに有名になったのかというとこれ!
残念ながら共同執筆者の泉野は用事で欠席(泣)そのかわり、うちに偶然泊まっていたcousinのMくんを代役に立て行って参りましたw(彼はクルマの知識はそれほどだが、ランボルギーニやかっこいいクルマは好きなようだw)
そもそもリバティー・ウォークとは。リバティーウォークは名古屋尾張旭にある自動車販売を専門とするクルマ屋さん。クルマ好き、スーパーカー好きの間ではかなり有名で世界でも人気が非常に高い。なぜそんなに有名になったのかというとこれ!
このクルマはLBパフォーマンス・ランボルギーニ ムルシエラゴ。
LBパフォーマンスとはリバティーウォークの中のブランドで、主にボディキット製作を行っている。そのスタイルは独特で、社長の加藤さん色がかなり濃くなっている。しかもフェラーリやランボルギーニなんかはフェンダーを切ってオバフェンを装着している!!!
さすが”Liberty Walk"「自由に歩く」って感じ。常識にとらわれないとことがまた素晴らしい所w(ちなみにこのモデルはイタリア、ランボルギーニ50周年イベントに飛び入り参加したクルマ)
そんな加藤社長のルーツといえばこれ!
シャコタン、オバフェンのケンメリGT-Rである。
この「暴走族スタイル」の要素を現代のムルシエラゴや458に取り入れてしまい、見事なまでのかっこよさを演出するの加藤社長流である。
まさに"Imagine all the people living life in peace" 「世界の人が幸せでいられますように」で、みるものを幸せにさせてくれるそんなパワーがあるクルマ達だと思うw
だからアメリカ、ヨーロッパ、ドバイ、等々世界中で売れているんだろう。
しかも感動したのはクルマ達だけではない!
今日はGWの終盤で従業員さんもお客さんも少なかったんだけど、初対面の僕らに無料で飲み物をくれたり、写真を撮ってくれたり、グッズを買ったときにオマケでマグカップとお椀をくれたりととても素晴らしくて楽しい場所だったのが印象的だった。
子供連れでもいけるような所でもあったw
しかし今回はエンジンサウンドや本社工場にいけなかったのが残念WWWWW
(友達から聞いた話によると、たまたま従業員さんが本社工場に連れて行ってくれたらしいw しかも名駅まで送ってくれるという親切ぶりw)
次回もし行く機会があるのならそうなってくれるとめっちゃくちゃ嬉しいWWW
今回とってきた写真はまとめてFacebook Pageにアップロードしてありますので、よかったら見ていってください。Facebook Page
また5/5以降にその模様を動画で数本出す予定なのでそちらもよかったら確認してくださいねw YouTube
オマケ:リバティーウォーク公式ブログに撮ってくださった写真がアップロードされましたw
2014年5月2日金曜日
はじめまして!!!
本日よりBLUE SUPERNOVAの記事投稿をお手伝いすることになった
と申します!自分もクルマ好きの一人なので、クルマの最新情報を中心に記事の投稿をしていこうかなと考えています。
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