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2015年8月22日土曜日

Alfa Is Back ジュリアが返ってきた そして124は?

 アルファロメオにジュリアが返ってきた


 久しぶりの後輪駆動でもうファンの皆さんは沸き立ったことだろう

 アルファらしいデザインにフェラーリ製のV6エンジン


とっても盛り上がりを見せている

ジュリアは精悍な顔つきにFR

そして最高峰モデルにはフェラーリのパワフルなエンジンだ

短期間の開発期間で作り上げられたというのだから

驚きであるしそれなら早いうちから作っといてくれやなんて
思っただろうねw

そしてアルファは面白いことになってきてるのである

だってそこにロードスターと共同開発されたプラットフォームに

アルファの味付けて構成される

124

どこに行ったのか、まだいまいちわかっていない

どこに行ったのかwww

ロードスターはどこでも高評価の嵐のようで

2ペダルでも面白いだとか

初代に近いとか

それが今売り出されてることもそうですが

それをイタリアのデザインで見れることも一つの喜びですね

さっさと大学に入ってええ車に乗って(できればロードスター)

大阪のほうであそびたいですわw

大阪大学経済学部の偏差値は69なので

しっかりと進んでいることを楽しみながら
徐々にやっていきたいと思ってます


2014年6月25日水曜日

名門フェラーリと歴史


最近、フェラーリに力がない

アロンソは、力の限りを尽くしてオーストリアでも5位だった、それにはマシンの性能差があるとか、

ハミルトンのベンツ、レッドブルのマシン、の4台には歯が立たなかった、抑えきれないとまで発言している、、、、、アロンソはF1でも名ドライバーのひとりで5本の指に入るドライバーだ。それでも

そしてライコネンも10位でマシンのハンドリングで四苦八苦した

そんなフェラーリに撤退という噂が流れた

最近戦闘能力が低く感じられるフェラーリにルマン復活の話が流れ

2つ掛け持ちっていうのはむずかしいのではないのか

現実味のある噂だったため世界中に広まったが

次の記事にある通り、それは、否定された

フェラーリ撤退発言の裏に歴史あり繰り返される低迷と復活

SPORTSNAVIでこんな記事があった。

この記事を読んでみてどう思っただろうか、

輝かしい復活劇と苦しんだ低迷期

80年代はフェラーリにとって苦しい時期だったと言えるだろう

しかしそのあとにセナにはマクラーレンMP4-12C

プロストには名車641/2が与えられた

暑いシリーズ争いをプロストはこう振り返る、最高のマシンだった

そしてそのシーズンが最高のドライビングができたと、負けはしたものの、
愛される名車が生まれた。

フェラーリにはF1でも市販車でも最高のマシンを作ってもらいたい


2014年5月27日火曜日

儲からない車


ちょっと間を空けてしまいましたねw(ブログの投稿)

最近面白いニュースがありました

FIAT クライスラーのCEOのセルジオさんがこんなことを言ったのです

アメリカなどで売られているFIAT500のEVバージョンはみんな頼むから買わないで欲しい

少しは生産するが、それ以上きた場合、2度目の破産申告をする羽目になるというのです

その500Eは500の可愛らしいボディーはそのままにEVを移植したというもので、ボディーのフロア部分のねじり合成が10%アップしていて、バッテリーも低重心化に一役買い、アメリカのメディアやヨーロッパのメディアではなかなかの高評価を受けていて、

手の届きやすい料金設定、imievやリーフ、テスラにも負けないコストパフォーマンス


ただ一つ問題が、、、、、、1台売れるごとに1万4000ドル近くの損出が出るというのですww

アメリカを中心に販売されている500Eは元の値段が320万ほどであるのだが、減税制度で200万ちょっとでことが足りる。その中で1万4000ドルの損出はでかい。ライバル車を圧倒できるスペックを兼ね備え、買いやすい制度まで投入したFIATにとってはやめても地獄、売っても地獄というところではないのだろうか。

この問題で明らかになったのは、EVの採算のとりにくさである、、テスラのように法外なバカ高い値段で売っているのならまだしも、コンパクトカーでかつEV,お手頃というのは難しいのかもしれない

2014年5月18日日曜日

アバルト part1

皆さん、アバルトってご存知ですか???

いまのみなさんの認識だと、Fiatのチューナー、500のチューンだけだと思ってました。

最近まで私もそう思い込んでいました

アバルトファンならご存知でしょうが、そんなアバルトの今までをご紹介したい

1908年創業者カールアバルトは生まれた、アバルトは生来のイタリア人ではなかった。

イタリア人系オーストリア人の父と、オーストリア人の母を持ったカルロアバルト。

彼がはまっていったのは、自動車競技と機械工学、その成り行きでモーターサイクルの道を歩み始めた。自動車工場で見習工として働く傍らでウィーン大学に通い、プライベートでレースを始めた。

初レースは初優勝!ライダーとしても才能があった、この勝利によって当時最強と言われたDKWチームの一員としてむかえられた、移籍後も期待に応えていたのだが、、、、

1930年事故に遭ってしまう。医師団から2輪レースを禁止されてしまう。

そこで3輪だったらいいだろうとサイドカーのレースに出場し始める。
(二輪ともそう変わらないと思いますwww)
そして自分の手で画期的なフレームのサイドカーを作り上げ、ヨーロッパ最強のサイドカー乗りとなった。レーサーとしてだけではなくチューナーとしての素質もこの頃から現れている。しかしまた彼を悲劇が襲う。

ドイツではファシズムが進み、同じ枢軸国でもゆるいイタリアで活動をすることにした直後、
事故に遭う、大事故で昏睡状態に陥るほどのものだった。
そしてようやく死地から戻ってきたカルロは第二次世界大戦真っ只中のイタリアにいた

第2次世界大戦集結後、
アバルトは友人だったポルシェのエンジニアだったフルシュカ技師のチシタリアに入ることになる。
チシタリアのF1マシンD46
チシタリア社は当時D46というF1マシンを開発し、参戦、レーシングカーやスポーツカーを販売、製造していた自動車会社のことで、
最も有名なのは202というモデルである。F1ではいい結果を残すことはできなかったが、FIATの車をベースに、美しい純レーシングカー、美しいスポーツカーを世に送り出した、ポルシェともつながりがあり、F1マシンを作ることになるのだが、4WD、V12スーパーチャージャーという斬新で画期的で先を行き過ぎていたせいか、なかなか進まず、苦労し、開発費用で首が回らなくなり破綻。

アバルトはここでも優秀なメカニックとして働いていたが、けいえいしゃのデュジオはどっか行ってしまう、メカや従業員は置いてきぼりを食らった。しかし、ドライバーのグイドスカリアーリーの父アルマンドが資産家でチシタリアに惜しみない助力を与えた、アルマンドはアバルトの経営能力と、メカとしての技術を買っていて、資金を出すからアバルトをリーダーにした会社をしないかと持ちかけたが、
アバルトはチシタリアの皆をほっておくわけには行かなかった。
しかし、抵当権がたくさんかかった工場と仲間を味方に進むことを選んだ
ここでの苦労が、アバルトの価値観、経営の基礎を作った。
202 商業的にはあまり良くなかったものの美術品として歴史の一部となった
そして、オーストリアへさよならを告げたアバルトはイタリアに根付いたコンストラクターとして新たな門出を迎えることとした、1949年チシタリアの仲間や設備をそそのまま居抜き、

ABARTH&C.が誕生した、これがみなさんご存知のアバルトです